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2014年6月23日 (月)

うみと もりと まちと

   *


落ちたインパラ

生きていた

死んだように
ぴくり
ともしなかった

それは
わが身を守るための
硬直反応

しばらくすると
インパラは
ゆっくりと立ち上がり
身体の中に圧縮されたエネルギーを
ふるい落とし
また
日常へと戻っていった


かたや
落ちたサルは
コトが起こって
ずいぶん時間が経っても
硬直したままだった

落ちたわたしは
何かに急かされたのだろうか
硬直した身体をそのままにして
日常へ戻っていった

しかし
その日常は
かつての日常ではなかった

わたしは
かつてのわたしではなかった

凍りついたままの身体は
すっかり
意識と切り離されてしまったのだ

つまり
こころが分断された

  ちりぢりに
  きれぎれに
  ばらばらに


めまぐるしく動く意識は
何も問題がないふりをして
わたしを
欺き続ける

感情は
身体と意識のあいだで
異変を察知し
さまざまなメッセージを送り続ける

意識は
感情の突発的な噴出に戸惑い
コントロールしようとし
でも 結局のところは
どうしていいのか
わかならかった

  くりかえし
  くりかえし
  あらわれる
  あるパターン

感情の奧に
閉じ込められた
エネルギーがあることを
意識は
気づけない

まるで
凍りついたままの身体を
恐れているかのように


そうして
長い 永い 時間がたった

自分が落ちたことを
すっかり忘れてしまうくらい


身体から切り離された意識は
宙のなかで
堂々巡り

つぎつぎと
ものがたりをつくっては
時間稼ぎをした

  たくさんの
  神や悪魔をつくり
  たくさんの
  奇跡や悲劇をつくり
  たくさんの
  光と闇をつくり
  たくさんの
  感情や意味をつくり
  たくさんの
  預言者や予言者や教祖をつくり

  そんな繰り返しに
  疲れ果てていることからも
  目をそらすために

  だって
  どうしていいのか
  わからなかったのだ

  それは
  動転して身体から離れてしまった意識が
  落ち着き 戻ってくるための
  プロセスだったのかもしれません


そろそろ
ようやく
放蕩息子が戻ってくるときがきたようだ

落ちたわたしは
ぴくり
ともしなかった

死んだような身体に
わたしは
かえる

とまっていた
ときが
うごきだす

  インパラドクス

  意識は流れを見つけたのだ

インパラの身体は
プロセスを
再開させる

凍りついたエネルギーを
少しずつ
とかしはじめる

われにかえった意識は
時間稼ぎのあいだにつちかった
想像力をつかって
身体のプロセスを
サポートする

つまっていた管が
広がり
固まっていた管が
しなやかさを取り戻す

とまっていた流れが
動き出す


落ちたサルは
大地のぬくもりに気づく

  ずっと わたしを支え続けてくれていたもの

水の匂いと
森の香りと
サバンナの風を感じる

楽しそうな
生き物たちの声が
きこえる

光と闇の恐怖はおわる

開いた目に
広がる世界は
なんて
輝いているんだろう

落ちた
インパラ
サル
そして
わたしは
ゆっくりと立ち上がり
全身を
ふるわせる

  たくさんの
  ものがたりや
  かんじょうや
  いみを
  はらいおとすためにも

もう
だいじょうぶ

  being Home
  being Homo

いま わたしは 
ひとつらなりの風になる


   *


@『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』(ピーター・リヴァイン著)を読んで


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